白いだるまさん。

超久しぶりにブログを書いたら思い出した…

4年くらい前までは、毎日毎日書くことで自分を整えてたことを。

すごく忙しくなって…そして色々と出逢いがあって、自分のために書くというよりは、誰かのためにメッセージを送るようになって。

そして頑張ってることで誰かの何かの励みになればいいと、とにかく行動して…。

走っても走っても追いつけないほど、焦りにかられるように。

ブレーキを踏みながら突っ走るような日々が、誰の何のためにもなっていない気がしてきた年末。

いてもいなくても同じ。

そんな風に思えきたところだったけど…

古希の先輩が誕生会の乾杯の席で、この子は頑張るんだけど頑張り過ぎて時々、へこんだり元気をなくすことがあるので、そばにいるみんなで励ましてやってくれたら嬉しいです。そうしてまた頑張る姿を応援してあげてください。

そう言ってくれて…お母さんのような言葉に包まれる感覚というのに慣れていなくて、うっかり涙をこぼしてしまうところだったけど、そっか、そういうバランスの悪さは自分が思うより周りに丸見えで、きっとそのたびに知らぬ間に人から助けてもらってるんだろうなあと気づく。自分のことしか見えてないからね…

 

バランスの欠如を少し失くすために、同じスケジュールでも、2020は気持ちを軽く過ごすために、誕生会が終わって最初にしたこと。

とりあえず年度末までのスケジュールを立てて見通した。

副業の仕事

本業の仕事

部活

PTA

太田分校応援プロジェクト

豆と綿の学校

そして新しくやりたいこと

 

少し諦めるところは諦めて、

一つ一つの内容を濃く

後悔しないようにしていかないと。

そして、一日の最後にこうして

自分のことを振り返って思いを書き

自分を整える。

昔そうやって自分を保っていたように。

人のための言葉を自分のための言葉に。

 

ちょっとアホっぽいけど

 

昨日、母とのことを久しぶりに思い出して書いた文。

実家には、年末も挨拶にいかなかったし、

正月も顔出さなかったけど、

それも自分に許しながら

父と対話するみたいにブログを書いたら

今日、母が大きなお皿いっぱい餃子を焼いて

持ってきてくれて驚いたけど、

なんと仕事もくれた。

近所の人が故人の遺影写真が小さくて困っていて

写真を加工して着物を着せて、

大きく引き伸ばしてほしいのだと。

 

一番やりたくて後回しにしている仕事。

今年、本腰いれようって思っていた本業。

 

昨日、父の遺影写真をブログに貼ったからかな。

本当にそうなんだよ、って

母も、死んだ父も

今のお前のことを応援してるんだよって

あの時、できなかった分

応援しているんだよって

そういうことなのかなって

 

まあ、そう思うことにした。

 

ふと気づくと…いただいたプレゼントの中に

白いだるまさん。

 

だるまって、いても居なくても同じ。

だけど、ちょっとだけ縁起がいい。

なんとなく自分を重ね合わせて見てた年末。

北千住あたりの達磨屋さん。

真っ赤なだるまさん、買おうか迷ったけどやめた。

買ったらそれに願いをかけて、また自分を縛り、

相手を縛り、期待をかける。

だるまを無視して意地悪した気持ちになって

毒だらけで年末迎えて

バタバタと4日の作業して当日迎えて無事終わり…

 

気づけば白いだるまさんがうちに。

そっか。赤じゃないのね。赤はわたし。

白いだるまさんは応援してくれてんだ。

そう。

淡々と一年がんばろう。遺影写真。

 

がんばろう。

この白いだるまに、2020の終わりに

やりきった気持ちで目を入れよう。

 

そうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

036/365 永久平和

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今日は中国残留邦人の支援をなさっている根田さんをインタビュー。

忙しい最中、お時間いただき本当に申し訳なかったです。

ですが、やっぱり撮らせていただいて本当に良かった。

残すべきだと思った。

もちろん、根田さんの支援団体「同路人」を通して、

秋田の中国残留孤児の方々が歩んできた道のりや根田さんの活動を

ご存知の方は多いと思うけれど、

私たちぐらいの年代はよくわからないかもしれないのです。

だから、

少なくとも私の知り合いぐらいは見てくれたらいいなと願う。

誰か1人でもいいから、心に何か残ってくれたら。

 

兄弟に売られてしまった人、

集団自決で生き残り売られてしまった人、

殴られて育った人‥

大きくなってからも

中国では日本人とイジメられ、

日本では中国人とイジメられ。

そんな風に

戦争に人生を引き裂かれてしまった人たちが、

目の前で穏やかにお茶を飲んでいる。

沢山の苦労と引き換えに得た、慈愛のようなものの気配。

目に見えない何かを赦すことでしかたどり着けなかった境地にいる気配。

 

最初は言葉も通じなくぎこちなかったのに、

何度か顔合わせていくうちにお互い慣れてきて、

先日の太田町の火祭りでは身振り手振りで会話するようになり。

中国語で数字を教えてもらいました。

イーアールサン‥‥なんだっけな、もう忘れてる💦

指の数え方も違うから頭が混乱。

同じ言葉でも音の上げ下げで4パターンの意味になるそうで。

私がたどたどしい発音で繰り返すと、みんなから総ツッコミ入り、

たまたまばっちりだとみんな喜ぶ。みんな嬉しそうに笑う。

なんだか懐かしくて泣けてきた。

爺ちゃんと婆ちゃん思い出した。

 

辛いことがたくさんあった人生だけど、

今が本当に幸せだと思えるんだそう。

そうなるまで支えてきた根田さんの苦労もはかりしれない。

根田さんの人生にも想いを馳せた1日でした。

 

同行の和〜夢のメンバーも、色んな想いを持ち帰ったようでした。

ありがとうございました。